縄文文化の扉を開く 三内丸山遺跡から縄文列島へ

刊行:2001年
A4・P96

縄文文化は日本列島に一万年も続いた文化ですが、利器に石器を用い、食料は狩猟漁撈と採集に頼った原始的な社会としてこれまで説明されてきました。しかしこれは今や見直されつつあります。

定住して集落を継続し、過去の経験から得たさまざまな知識をもとに季節的な動植物資源の獲得や加工・貯蔵だけでなく、栽培や保護を含む農耕要素、交換や交易、共同体的な社会のつながりの形成、大規模な記念物の構築、秩序だった集落内の各種の場や構造物の維持などが見られ、階層化した社会や複合化した生産手段を持ち、循環的な生活基盤を持つ時代であったことが見通されるようになりました。

豊かな縄文時代のイメージですが、この社会は新石器時代の大枠から脱するには至っておらず、弥生時代以降のような人口増加や政治化した社会、余剰な生産が貨幣にもなりうる米という形で半ば強制的に拡大生産され、右肩上がりに拡大する社会とは異なっていたことは事実です。

また一方で、縄文時代の内でも骨角器の発達が見られ、塩の生産が始まり、玉や漆製品などの装身具や威信材が発達していき、朝鮮半島や大陸との交流も僅かながら認められるところであり、各時代の発展要素も認められています。

このような縄文文化見直しは各地の遺跡調査で示され、祭祀遺跡として、木材加工技術として、山岳地の集落としてなど、各地での適応が知られ、広域の交易なども知られてきました。 そのもっとも集中した遺跡情報が出されているのが、東北地方の円筒土器文化の内の大集落遺跡である三内丸山遺跡の成果です。

本展では、歴博所蔵の三内丸山遺跡の既出土品ほかのコレクションに加えて、調査結果をもとにこの遺跡研究の先端の成果を紹介するとともに、他地域でも続々と報ぜられる成果の一部を各地域・各時代を横断して紹介し、縄文時代とその文化の見直しの扉を押し広げようとするものです。(国立歴史民俗博物館HPより)
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